地行の元寇防塁

13世紀にアジアからヨーロッパにまたがる巨大な帝国を造り上げたモンゴル(元)は、5代目皇帝フビライの時に、日本に使者を送り、通交を求めました。日本がこれに応じなかったため、文永11年(1274)の10月に大軍をもって対馬・壱岐を襲った後、博多湾岸に上陸し、日本軍と激しい戦闘を繰り広げ、この時、博多の町は焦土と化しました(文永の役)。元寇防塁とは、鎌倉幕府が元の再来襲に備え、建治2年(1276)に九州各地の御家人に命じて、約半年間で博多湾岸の東区香椎から西区今津までの約20qに築かせた石築地のことです。
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タグ:中央区 史跡
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posted by ダンコン at 11:18 | 福岡 🌁 | 史跡>元寇防塁

元寇防塁・西南大学構内

西南大学の正門にある守衛さんに『元寇防塁の遺跡を見せて下さい』と、挨拶すると、立派なパンフレットをくれます。
史跡のある1号館への道順を聞いて、元寇防塁遺跡を見に行ってきました。元寇防塁・西南大学続きを読む
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posted by ダンコン at 10:06 | 福岡 ☀ | 史跡>元寇防塁

元寇防塁・西新地区

nisigen03.jpg九州の各国に分担させて作られた『元寇防塁』ですが、西新地区の分担国は分かっていないそうです。防塁の構造は粘土による基礎工事を行い、基底部幅3.5mの全面と後面に石積みをし、その間を砂と粘土でつめています。石材の節約をはかった独特の工法となっています。続きを読む
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posted by ダンコン at 20:46 | 福岡 ☁ | 史跡>元寇防塁

元寇鹿原戦跡(祖原山)

genso.jpgこの地鹿原山(祖原山)は、初度の元寇文永11年10月20日に早良川から百道にかけて上陸した敵の有力な一部隊の本陣となった。
敵は軍旗をなびかし太鼓や銅鑼を鳴らして気勢をあげ、目前に展開する鳥飼・赤坂(福岡城裏)別府・荒江で、鉄砲を放つなどして、わが郷土 肥前・肥後の将兵と激しく戦った。そのことは肥後の竹崎季長の蒙古襲来絵詞や八幡大菩薩愚童訓に見えている。
なお博多湾に浮か能古・志賀島や西戸崎の海陸は、弘安4年(1281年)再度の役に、東路軍が、我が軍の猛攻をうけて、ついに壱岐へ退去するにいたった古戦場である。
福岡市早良区昭代1-7

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posted by ダンコン at 20:22 | 福岡 ☀ | 史跡>元寇防塁

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